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メールマガジンバックアップ

Vol. 22 原田隆史の人生クレド①「仕事と思うな、人生と思え」

今日から「カリスマの目線」で、新しいシリーズを始めてみたいと思います。 「原田隆史の人生クレド」と題して、私の「理念・ミッション」を短い言葉で端的に表している「クレド」を随時ご紹介させていただきます。 ご自身の「クレド=信条」と比べて下さい。 第1回目は、メールマガジンの題名にもなっている「仕事と思うな、人生と思え」です。 【仕事と思うな、人生と思え】 私はこの言葉を演題にして講演を行うことがよくあります。 中学校教師だったころは、陸上部の生徒に対しては「陸上と思うな、人生と思え」と徹底して教えていました。 また、陸上という言葉を様々な言葉に置き換えて使っていました。 「砲丸投げと思うな、人生と思え」「登り棒と思うな、人生と思え」「体力トレーニングと思うな、人生と思え」「体育と思うな、人生と思え」「授業と思うな、人生と思え」。 「○○と思うな、人生と思え」、この「○○」のところには、どんな言葉でもあてはまります。 松虫中学校の指導者時代に登り棒、という練習メニューがありました。 3分間で男女が一緒になり、強い弱い、学年、経験等関係なくどんどん登ります。そして降りてきます。 ほとんど休憩なしにまた棒につかまり登り始めます。 体力的にもとても厳しい練習です。手はマメだらけになりますし、後半には腕の力を感じなくなるぐらいになります。 休憩は、個人が考えて自分で取る、というのが松虫の練習の特徴ですので、1本目を登り終わると、次の1本にいつ行くのかは、その選手次第です。 1本登り終えると、たいへんしんどそうな顔をしてウロウロしながら腰に手をあて休憩を取る選手もいます。 かたや、3分間、一度も地面に降りてこない選手もいます。 3分間、登り棒のてっぺんまで登り、タッチをして地面すれすれ、約30センチまで降りてきて、また休憩なしにすぐ登りだすのです。 なかには、腕の力だけで登る選手もいました。普通は脚を棒に巻きつけ、交差させて、腕と足の力のバランスで登って行きます。しかし、腕の力をつけたい投てき(砲丸や円盤の選手)や棒高跳びの選手は、腕だけで登ると決めていました。 もちろん、自分でそう決めてやりきっていたのです。 さあそんな雰囲気の中では、休憩などしていられません。 登り棒は取り合いになります。それでもあきらめそうになったとき、仲間から檄が飛びます。 「登り棒と思うな。人生やろ。」 その一言で、チーム全体に喝が入り、練習はいよいよ盛り上がるのです。 今、社会人の教育で「大人教育」の機会を頂戴することが多くなりました。 「仕事と思うな、人生と思え」、この一言を聞いただけで、スイッチが入る方も多くおられます。言葉に流れる「思い」を感じとる感性をみなさんお持ちなのです。 人間の行動のうち、約80%以上は「無意識」での行動だと言われています。 その無意識の行動に、その人の価値観や感性が現れるものです。 ふとした発言、何気ない会話、ちょっとした行動。そこにその人の「人間性」が見えてしまうことも多々あります。 仕事だけに限らず、日々の何気ない行動も、全てが集まって私たちの「人生」を作り上げているのですから、些細なことを馬鹿にせず、些細なことを大切に、人生を丁寧に積み上げていかなければなりません。 ましてや、仕事。一日の多くの時間を費やす「仕事」。 「仕事=人生」ではなく、「仕事に取り組む意識・姿勢・態度が人生を決める」「仕事に取り組む意識・姿勢・態度は、人生に取り組む姿勢・意識・態度につながる」という意味です。 「仕事と思うな、人生と思え」 その言葉が本当に自分のものになったとき、仕事は「やらされ仕事」ではなく、「自らすすんで取り組む仕事」、主体的な自立型人間の仕事となります。 私は、毎日が「人生試験」の連続だと思っています。 仕事と思わず、人生だと思うことで、新しい分野・新しいミッションにチャレンジする勇気とやる気がわいてきます。 「仕事と思うな、人生と思え」 さあ、今日も人生試験に挑戦していきましょう! 一寸先は、光です!感謝。 (原田隆史)