メールマガジンバックアップ

Vol. 70 損得ではなく、善悪で

私は4月から埼玉県の教育委員という大変責任の重い職務を拝命しました。教育活動にますます真摯に取り組んでいくという覚悟が定まりました。 私は、教育活動のみならず、仕事や人間関係においても、常に心に留めていることがあります。 それは「損得ではなく、善悪で行動する」ということです。 私も経営者ですので、いかにして儲けを生み出し、社員やその家族、そして私の家族を支えていくのかということを常に考えています。 しかし、その儲けを生み出す仕組みを支える判断基準が「損得」ではいけない、ということです。 自分にとって得だからやっておこうとか、こんなことしても損するだけだからやめておこう、という考え方には常に「私心」が付きまといます。私心が勝るところに、公共性は生まれません。 「仕事とは、自他に物心両面に渡るプラスの影響を与えること」という我が社の仕事に対する定義があります。 この場合の「他」とは、自分以外の人全て、そして自分が所属する社会全体ということです。 損得のみを優先する考え方は我々の仕事に対する定義にもそぐいません。ましてや、教育。私心や私欲、損得勘定を持っていては、人の心を理解することはできません。 教師塾で学ぶ全国の先生方は、よくこのように言っておられます。 「自分が教師をやっていられるのは、目の前に生徒がいるおかげ」 「自分のためではなく、生徒や保護者のために本当の活動をしているか」 そのように自分を戒めながら、私心や私欲で心の目が曇らないように、常に純粋で謙虚な心で教育活動に打ち込んでいるのです。 では、その「善悪の判断」を支えるものは何なのか、一体何に照らし合わせて善悪の判断を下せばよいのでしょうか。 もめ事や警察沙汰を裁く裁判には、法律があります。法律に照らし合わせて、これは正しい、これは間違い、と判断していくわけです。 では、仕事における善悪、教育活動における善悪は、何を基準にすればよいのでしょうか。 それは、会社の理念や方針ということを超えて、その人、まさにその人間が、何を考えて、何を正しいと感じ、何を理想として目指しているのか、という、「人生・生き方の理念」そのものである、ということです。 世の中の常識や倫理観というものは、明文化されて何かに記してあるわけではありません。 それぞれの人が生きていく中で、「どうすればお互いがいやな思いをせず、平和に、穏やかに過ごしていけるのか」ということに取り組んだ結果、暗黙の了解として生まれてきたものが、常識や倫理観です。 そこには、「人としてどう生きるべきか」「より良い人生とは何なのか」という、それぞれの人が意識的・無意識的に持つ、やや哲学的・観念的な「人生観」が大きな影響を及ぼしていると考えられます。 つまり、仕事に携わる人、教育に携わる教師や大人が、「どう生きるのか、どう生きたいと考えているのか」ということに尽きるのです。 そのそれぞれの人生観・生き方の理念を持って、目の前の部下や生徒の願いをくみ取り、判断し、導いていくことこそが、指導者と呼ばれる人の使命となるのです。 だから、教育に携わる人間は、人柄・人格・人間性・人間力を向上させなければならないのです。 深みと広がりを感じさせる、味のある人間力を持ってこそ、説得力のある善悪の判断を下すことができるのです。 私はそう考え、自らの人間力向上にも全力で取り組んでいきます。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 (原田隆史)