受講者の声
FAN VOICE
2025.11.12
河西弘謙様(養成塾36期)
FAN VOICE : 河西弘謙さん(株式会社KKコーポレーション/経営者)
高校卒業後に木造大工として現場を経験し、15年前に不動産業で独立。地元密着で仲介と買取再販を手がけ、着実に事業を拡大してきました。建物を見ただけで「どこを直せば、いくらで売れるか」を瞬時に見抜くその眼力は、まさに職人技。AIにも真似できない“現場の感性”を持つ方です。
コロナ禍では「家が売れなくなる」と判断し、いち早く地方の中古物件を買い取り、リフォームして賃貸に転換。大胆な決断で事業を飛躍させました。その後は全物件を売却し、金などの金融資産にシフト。
時代の変化を見極めながら、柔軟に舵を切る経営者、河西様にお話をお伺いしました。
Q 原田メソッドとの出会いと受講のきっかけを教えてください。
原田メソッドとの出会いは約10年前、2015年頃にさかのぼります。当時から書籍やDVDを購入したり、名古屋でのワンデーセミナーに参加したりしていました。その中で、特に「子育て」の部分に強く惹かれました。今回の養成塾に参加したのは、Facebookで(同期の養成塾に参加をした)石原さんが子育ての悩みを投稿しているのを見かけ、自分も同じように悩んでいたことが共感のきっかけでした。
講座は第3回まで受講しました。「毎回考えさせられることが多く、時間が経つのがあっという間」と感じています。受講仲間がオープンウィンドウ64を素早く描いていた姿を見て、日頃から考える訓練をしているのだろうと刺激を受けました。
Q 養成塾の学びの中で、特に印象に残っている考え方はありますか。
一番印象に残っているのは、原田先生が話された「プラスマイナス 50対50」の考え方です。嫌なことがあっても、必ずその中に半分の良い要素があると考える。
最近も、ある態度の悪い方に対して腹が立ったことがありました。でも、この考え方を思い出して、「悪いところが50%あるなら、学べることも50%ある」と切り替えられました。この姿勢は経営でも家庭でも役立っています。
Q 河西さんのこれまでの人生には、いくつもの大きな転換点があったと伺いました。まず最初に印象的だった出来事を教えてください。
はい。最初の転換点は、10歳のときに父を亡くしたことです。当時のことは、今でも人生の「どん底」として記憶に残っています。母子家庭で育ったので、幼い頃から「もったいない」という感覚が自然と身につきました。無駄をなくすことへの意識が強くなったのは、この経験が大きいと思います。後になって、経費の使い方や仕事の効率化を意識できるようになったのも、この原体験があったからですね。
Q そこからどのようにして社会に出ていかれたのですか。
大学を辞めるときに、「3年間は社会にもまれてみよう」と決めました。
最初は居心地のいい会社にいたんですが、「このままじゃ成長できない」と感じて、あえて給料が6分の1になるような厳しい会社に転職したんです。手取りで15万円。営業職で歩合もなし。かなり厳しい環境でした。
宅建の勉強をするつもりで入ったんですが、週休2日どころか休みもほとんど取れない状態で……。北海道での仕事がなくなった後は、「もっと厳しいところで挑戦してみよう」と思って大阪へ。車で寝泊まりしながら就職活動をしました。
肉体的にも精神的にも限界に近い時期でしたが、その経験があったからこそ、「無駄を徹底的に省く」感覚が身についたんです。いまの経営スタイルの原点だと思います。
Q その後、独立されたんですよね。
はい。最初から決めていた通り、3年働いたあとに独立しました。自分の会社を立ち上げて初めて「家を売る」という成功体験ができたときは、本当にうれしかったです。結婚した頃が、人生の幸福度のピークでしたね。
ただ、しばらくして、今度は会社が倒産寸前になりました。大きな「底」でした。資金繰りも苦しくて、どうにもならない。結局1年くらいで回復したのですが、この経験があって、社員を「仲間」「同志」として見るようになりました。一緒に苦しい時期を乗り越えてくれた人たちを大事にしよう、という想いが、いまの経営の根っこにあります。
Q その後、不動産から金融資産へと大きく舵を切られました。その背景を教えてください。
社会情勢を見ていて、不動産業の将来性に限界を感じたんです。物価の上昇、職人さんの高齢化、賃金や税率の上昇――すべてが重なっていました。 さらに、日本は世界の地震の約24%が発生する国。固定資産を持つリスクも考えるようになりました。
そこから思い切って、不動産をすべて売却する方向に動きました。カンボジアにひとつだけ残して、あとは金のETFなどの金融商品に切り替えました。
不動産は現金化に時間がかかりますが、金融資産ならすぐに動かせる。事業のリスクヘッジとしても、非常に大きな意味がありました。過去の成功体験にしがみつかず、時代に合わせて変化することが大事だと実感しています。
Q 子育てにも、とても力を入れていますね。
はい。今、子どもが3人いまして、上から9歳(小3)、7歳(小1)、そして2歳になったばかりです。上の子のときは仕事で家にいる時間が少なかったので、その分いま一緒に過ごせる時間をすごく大事にしています。
実は、2026年の2月ごろに家族でマレーシアに移住する予定なんです。子どもたちは現地のインターナショナルスクールに通わせる予定で、最初は英語環境への適応が大きな課題だと思っています。ただ、小1と小3という年齢的にも吸収が早いと思うので、そこは期待しています。苦労もあるでしょうけど、海外の多様な環境で育ってほしいという思いが強いです。
Q そして、これからマレーシアに移住されるとのことですが、それも大きな転機ですね。
そうですね。来年の2月には、家族全員でマレーシアに移住します。子どもたちは現地のインターナショナルスクールに通う予定で、まずは英語環境への適応が課題です。とはいえ、小学生という年齢なので、きっと吸収も早いはず。異文化の中でたくましく育ってほしいと思っています。
日本に残る社員とのコミュニケーションをどう保つかも、これからの課題ですね。でも、原田メソッドで学んだ「人とのつながりを大切にする」精神は、どこにいても変わりません。距離が離れても、信頼と感謝をベースにした関係を続けていきたいと思っています。
■編集後記
インタビューはオンラインで行いました。河西様はご自宅からご参加くださいましたが、画面越しにまず目を引いたのは、後ろのふすま一面に描かれた大きな猫の絵でした。ふすまがまるでキャンバスのようになっていて、その自由で柔軟な発想に思わず笑みがこぼれました。実際にお話をうかがうと、その印象はますます深まりました。
河西様は、常識にとらわれず、自分で決めた目標に向かって行動し続ける方です。10歳で父親を亡くし、母子家庭で育ち、厳しい環境の中で「もったいない」という価値観を身につけられた。社会に出てからも、あえて厳しい環境に身を置き、車中泊をしながら働き、努力を積み重ねてこられた。そうした経験が、いまのしなやかで強い経営感覚を育てたのだと感じます。
一方で、その芯の強さの奥には、深い優しさと愛情がありました。ご自身の成功を語るよりも、社員への感謝や、お子様への愛情を丁寧に語られる姿が印象的でした。
「これからは子どもと過ごす時間をもっと増やしたい」とお話しされていた河西様。その言葉には、過去の苦労を超えた温かい覚悟がありました。来春にはマレーシアへ移住し、子どもたちを現地の学校に通わせながら、新しい働き方に挑戦されます。どんな変化の中でも、自ら考え、動き、学び続ける河西様の姿勢は、まさに原田メソッドが目指す「自立型人間」の実践そのものでした。
河西様、どうもありがとうございました!
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