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受講者の声
FAN VOICE

2025.11.24

鈴木淳子様(養成塾36期)

FAN VOICE : 鈴木淳子様(大手製薬企業T社 勤務)

インタビューは、鈴木さんが現在勤務されている会社の応接フロアで行われました。

受講のころからずっと感じていましたが、鈴木さんはいつもニコニコしています。幼稚園のころから、その笑顔は変わらなかったそうです。通園バスの運転手さんに「いつもニコニコしてるね」と声をかけられ、お菓子をもらった思い出を、うれしそうに話してくれました。

人を包み込むような温かさと、人懐っこさ。その「ニコニコ」が、きっと彼女の人生に多くの縁と幸福を引き寄せてきたのだろうと感じました。そんな柔らかな空気の中で、60分間のインタビューが始まりました。

 

Q:キャリアの始まりを振り返ると、最初のスタートは決して平坦ではなかったそうですね。

そうなんです。バブルが崩壊して、就職氷河期の真っただ中でした。マスコミ志望でテレビ局や制作の道を目指していたのですが、女子学生の採用枠が激減しまって。一般企業でも、もう面接にもたどりつけない。そんな中で、最初に就職したのが九州にあるドーム型施設。大手小売企業D社の新規事業子会社で、契約社員として働くことになりました。

それは今で言えば“スーパーブラック”な環境でした。フルタイムで働いても手取りは10万円ほど。残業は禁止で、制服、更衣室、給与待遇から社員とは明確な区別があり、デスクに飲み物も置けない。持ち込みも禁止で、食事は全てドーム内で買うしかない。だから生活費はかさむし、一人暮らしで家賃も高く、家庭教師のバイトを夜にしてようやく暮らしていました。

でも、あの時期があったからこそ、社会の仕組み、組織のリアル、人の葛藤や工夫を目の当たりにできました。今思えば、あれは人生の「最初の修業期間」でした。

 

Q:そこから飲食業界へ移られたのですね。

はい。次に選んだのは、全国展開している居酒屋・洋菓子チェーンでした。飲食業もやはり厳しかったです。朝から深夜まで、ほぼ無休。残業代もでなかったので、もはや’スーパーブラック’を超えていますよね(笑)でもその中で、人を育て、チームをまとめるという面白さに出会いました。

この時期にリーダーシップトレーニングに参加し、自分の「10年夢ビジョン」を模造紙いっぱいに絵と文字で表現するという取り組みも行いました。この時に、リーダーシップの面白さに目覚めたのも大きな転機だったと思います。「飲食業は人が命」。まさにそれを体で学びました。お客様に喜ばれるためには、仕組みよりも人。その人のやる気をどう引き出すかが、業績を決めると気づいたのです。

同時に、店の運営や数値管理にも関わるようになり、宣伝・シフト・原価・売上、全部が連動している世界を学びました。4店舗の運営に携わり、合計月商は約4,000万円。夜中の2時まで働いて、朝5時に寝て、10時にはまた仕事に戻る。そんな毎日でしたが、そこに「数字で人の努力が見える」という面白さがあった。
その感覚が、私を次のステージ――会計の世界へ導いたのだと思います。

 

Q:財務や会計への関心が芽生えたのは、その現場経験からだったのですね。

はい。現場のすべてを数字で見られるようになってから、「数字って人を支えるツールなんだ」と気づいたんです。それで日商簿記を勉強し始め、3か月で合格しました。数字の世界に入ってみると、自分の中で何かがつながっていく感覚がありました。

その後、アメリカの会計資格(USCPA)を目指して勉強を始めました。きっかけは、海外で学びたいという夢。けれどその直後、父が急に病気で倒れ、末期がんの告知から一日で亡くなったんです。

そのときに感じたのは、「人の命はこんなにも儚いのか」ということ。
だから決めました。「後悔のない人生にしよう」と。
あの瞬間から、私の中でスイッチが入ったんです。

 

Q:その決意が、留学へとつながっていったのですね。

はい。USCPA合格後、お金を貯めるためにトイザらスで働いて、資金をつくってからオーストラリアへ渡りました。最初は語学学校に通いながら、新聞に出ていた求人を見て経理のアルバイトに応募したんです。日本円に換算すると時給500円。でも、社会貢献になると思って迷わず受けました。

その会社の社長が、日本語を話せないオーストラリア人会計士 とやりとりできる人を探していて、私がちょうどハマった。そこから一気に信頼を得て、社長の右腕のような立場になりました。4つの会社の経理や運営を手伝いながら、日々成長していきました。

そして大学院――マッコーリー大学でMaster of Accountingを取得。コース修了のためにCPA Australiaにも合格しました。資格を取るだけでなく、そこで培った「数字で未来を描く力」は、私の基盤になりました。

 

Q:そして日本に戻り、夢を次々に叶えていった。

帰国してからは、アメリカ系企業で経営企画・アカウンティングの課長職両方を任されました。半年間、財務部長が不在で、その代理を務めたんです。大変でしたが、あの経験で自分の自信が大きく変わりました。

その後、ヘッドハンターから声をかけられて、ITソフトウェア企業の財務経理部長に就任。アジアパシフィック全体を管轄する立場になりました。年収は、九州時代から比較すると6倍。模造紙に描いた10年後の夢が、すべて現実になっていました。

 

Q:それでも、その後に大きな変化が訪れたとか。

はい。キャリアの成功を手に入れた後で、ふと気づいたんです。「あれ、私の人生には“他者社会”、とくに生活の視点が抜けていた」と。
それから4〜5年の時間をかけて、自分の心と向き合いました。執着を手放し、見返りを求めずに人のために動くようになって、人生がまた動き出しました。

44歳での出産も、その延長線上にありました。人生の四観点――心・技・体・生活が、ようやく一つに統合された感覚でした。

 

Q:その体験が、原田メソッドと重なっていった。

そうですね。オーストラリア時代、夜通しで5時間、自分の理想を親友がコーチになってくれて一緒に書き出したことがあったんです。そのときは「こんなの叶うはずがない」と思って、書いた紙を日記と一緒にしまい込みました。タイムカプセルみたいに。

ところが数年後、子どもを産んでから開いてみたら、そこに書いた内容が、驚くほど現実と一致していたんです。

だから言えるんです。「書くことは実現する」って。

原田先生の講義でその言葉を聞いたとき、「あ、やっぱりそうだ」と心から共感しました。社会構成主義ですね。自分の言葉で未来を構築していく。まさにそれを実感した瞬間でした。

 

Q:大手製薬企業T社に入社された経緯と、現在のご担当について教えてください。

(鈴木)T社に入る前はコーチングスクールに通っていました。人を育てるということに強い関心があって。でも、コーチングだけではもう少し“パワー”が足りないと感じていました。成果を再現できる仕組みが欲しかったんです。そこで出会ったのが原田メソッドでした。原田先生の講義で「成功は技術なんや」という言葉を聞いたとき、まさにこれだと感じました。理論・メソッド・ツールが一体化している。私はこれを、世界中に広めたいと思ったんです。

現在はT社のファイナンス部門で働いています。業務の特性上、男性の比率が高く、数字と精度を重んじる世界です。でもだからこそ、そこに「人の力」や「心の豊かさ」を取り込むことが重要だと思っています。仕事としての会計・財務の正確さだけでなく、人が自立的に動けるような組織文化を育てていきたい。それが今の私のミッションです。

 

Q:お話を伺いながら、自然と「回り道は財産」という言葉が浮かびました。最初の苦労や迷い、遠回りが全部、今の力に変わっているように思えて。

本当にそう思います。あの回り道がなかったら、今の私は絶対にいません。
あの時間があったからこそ、人の気持ちも、痛みも、成長も、わかるようになったんです。
だからこそ、いまは人に寄り添って伝えることができるし、あの経験すべてが“財産”になっています。

 

■編集後記:

鈴木さんのお話には、まるで一本の映画を見ているような流れがありました。

バブル崩壊という時代の転換点に社会に出られ、厳しい環境の中でも諦めずに自分を磨き続けてこられました。そして財務・会計の面白さに出会い、努力を重ねて留学や資格取得へとつなげてこられた。「年収6倍」という結果は、まさに努力の結晶にほかなりません。

印象的だったのは、その後、「次は誰かのために」と視点を外に向けられたことです。  その問いの先に、原田メソッドとの出会いがありました。  「目的・目標の四観点」や「心・技・体・生活」の考え方に深く共感して頂きました。

今後は、“Citrus Orange Gables(仮称)”という、人が集まり学び合う場づくりを構想されています。  利他の精神を形にしようとするこの構想は、必ず形になるだろうと思いました。

鈴木さん、どうもありがとうございました!

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